平成30年取手市議会第2回定例会(平成30年6月7日 ~ 平成30年6月22日)
6月11日一般質問(抜粋:細谷質問)

○12番(細谷典男君)

 創生会、細谷でございます。今回の一般質問では、暴排条例の課題について多角的に取り上げてまいります。なぜ暴排条例をとり上げるのかについて説明いたします。1つには、差別され、排除されているものに対する同情からであります。2つには、差別や排除の理由がいわれなきものであり、不条理であることへの憤りにあります。そして、不条理であるかどうかとの判断基準を憲法に求めました。憲法から、本条例を見ると、地域において違憲状態をつくり出しているものと考えます。本条例は、暴力団を取り締まるもの、町の嫌われ者、厄介な者を排除するというものであり、反対する必要はないだろうというのが大方の声かと思います。しかし、これが事実か、正当であるかについては議論の分かれるところだと思っております。
 日本の社会は古来から、助け合いの文化が根底にありました。村々での農耕を中心として生活、作業が営まれ、協働して助け合わなければやっていけなかったことによるものと思います。このような中でも不心得者、おきてを破るような場合は、村八分という処分を受けております。村の共同の生活の場から排除されます。しかし、村八分の名が示すように、八分は排除されますが、残るところの二分においては、つまり、火事や葬儀に際しては共同で生きる道がこういう中にあっても与えられております。翻って暴排条例は、市民と暴力団との一切の関係遮断にあり、完全な排除を求めているものであります。私は、この条例は苛酷なものだと考えております。暴力団のバブル経済事の経過などから見れば、私も一層厳しく取り締まらなければならないという意見に、95%ぐらいは賛成できます。しかし、残された5%、村八分の二分とまでは言いませんが、暴力団でも生き残ることができる道が、どんなに細くても必要なのではないかと考えております。
 多くの人に忌み嫌われている暴力団が、今は息絶え絶えですが、それでもなお今日まで存在してきております。これはなぜか。否定的なことばかりであったなら、とうに退場しているはずであります。この疑問を解くには、排除対象の暴力団がなぜ発生したのか。その要因について分析し、発生の根本を知らなければ、幾ら排除しようとしても、実効が上がるものとはならないと思います。近代における「やくざ」、現代では「暴力団」と、いかにも不粋に呼ばれておりますが、近代やくざの発生は、明治維新による日本の構造大転換を契機としております。多くの人に忌み嫌われてるやくざになぜ身を投じたのか、発生の要因とともに、やくざ以外の選択肢はなかったかということもあわせて考えなければ、排除の実を上げることはできないと考えております。
 現在の暴力団につながるやくざ組織は、近代において生まれ、全国に点在しております。近代やくざの特徴として、社会の最底辺で、誰しもが敬遠するような職場からはい上がってきていることが見てとれます。やくざの発生は近世、封建時代においては、農村における博徒が中心と言われておりますが、明治からの日本近代化の中で、最も苛酷で悲惨な労働現場を源としております。富国強兵、殖産興業のもと勃興した炭鉱、鉱山や港湾での労働現場からです。幕末から明治の初期には、戦乱で疲弊した農村から、流浪化した民衆が仕事を求め、都市に集中してきました。
 やくざ発生の典型的な例として、港湾における荷役労働の現場が挙げられます。明治以前の輸送船は、小型で波止場まで船がつけられていました。波止場で船から荷物をおろして倉庫まで運びますが、この港湾労働者を「仲士」といいます。仲間の「仲」に、消防士の「士」です。仲士といいます。近代化の波は、小型船から外国船や大型船に移ってまいります。そうすると、今までの波止場では岸壁に係留できず、沖合に停船することになります。ここで新しい労働が生まれます。小さなはしけで、船から波止場まで運ぶ作業です。この労働者は、陸地で荷物を運ぶ仲士と区別して「沖仲士」と呼びます。仲士と比べると沖仲士の作業は極めて危険です。この危険な仕事に維新の動乱で、生活の当てなく、行き場を失った民衆が押し寄せました。労働現場は法の支配も及ばない、働く者たちは身元も不明……氏、素性も明らかではありません。そして、危険と隣合わせの集団作業になります。また、強圧的な外国船などとの激しい料金交渉などもあり、力の威力が必要でした。この現場をまとめるためには、暴力を背景とした剛腕の統括者が求められ、押し上げられるように発生したのが近代やくざであります。横浜、横須賀、大阪など、同様の事情でした。神戸においては、港湾労働で頭角をあらわしたのが山口組です。初代山口組は、誰もが嫌がるような危険な労働現場に押し寄せてくる流浪の民を受け入れ、共同作業を行い、生活を共にしたことから始まりました。
 炭鉱の現場も、安全対策など、心もとなく常に危険と隣り合わせでした。炭鉱では当初、犯罪人、囚人が主要な労働力でした。明治に移り、増産体制に入ると、通常は敬遠される現場ですが、港湾と同様、職を求める流浪化した民衆を呼び寄せました。しかし、明治政府は、重工業化を国策としており、これでも労働力は間に合いません。1910年の日韓併合から、朝鮮半島では植民地支配のため困窮著しく、ここから脱しようとした人々が炭鉱労働者募集に応じて、半島から日本に渡ってきました。これらの働く場所が、この苛酷な炭鉱となったわけです。国内では誰しも嫌がる現場でも、生活のために選択をせざるを得なかったものです。
 昭和に時代は移り、いよいよ戦端が開かれようとする時期には、募集では間に合わず、朝鮮半島から大量に強制徴用され鉱山、炭鉱に投入されました。これらの人々は、戦後、着のみ着のままで放り出され、今も故郷に帰ることのない、在日2世、3世とつないでいるわけです。やくざに身を投じた出身別内訳としては、被差別部落、戦後の戦災孤児、ドロップアウトした者など挙げられますが、在日朝鮮人もかなりの比率で占められているものと思われます。
 このような近代やくざの成り立ちを考えると、「差別されたくなければやめればいい」という一言では済まされることはないと思います。やくざ社会には、上下関係においては絶対的な厳しさがありますが、実力、才覚、稼業歴による区別はあっても、本人の才能とは無関係な国籍や人種、貧困、出身などによる身分差別はあり得ません。それは、今まで申し上げてきたとおり、やくざ組織が被差別階層で構成されているからであります。
 そして、組織には行き場を失った者たちの、最後の相互扶助的機能を有しております。相互扶助機能はやくざ組織にとどまらず、同じような境遇にある底辺の者たちに向けられております。今や暴力団の一種に組み込まれている路上で商いをする人や、テキ屋や露天商ですが、彼らをつかまえて、「商売とはお店を構えてやるものだ」とか、「暴力団と間違われたくなければ、露店での営業はやめろ」と言われても困ってしまいます。できるものならそうしたいのは山々だと思います。しかし、できない事情を持つものもあるわけです。大道芸人も同様です。「芸は劇場でやるものだ」と言われても、どうにもならないものでございます。これら大道芸人や露天商を旅の先々で助けていたのがやくざでもあるわけです。
 伊豆の踊り子を、御存じの方が多いかと思います。川端康成原作で、何度か映画化されております。一高の学生と旅芸人一座の踊り子との淡い恋を描いたものです。二十歳となった一高生が、境遇が孤児であることから、自分の性格がゆがんでいると厳しい自己反省を重ねて、その息苦しさに耐え切れず、ひとり、伊豆に旅に出るところから物語が始まります。湯ヶ島の道中で出会った旅芸人一座の一人の踊り子に引かれ、天城峠のトンネルを抜けた後、彼らと一緒に下田まで旅をするという一高生と踊り子との恋愛小説でございます。
 一緒に旅した中で、差別や排除、身分違いが表現されており、これに対する川端の鋭い人権感覚が見られます。主人公の一高生が峠の茶屋で踊り子たちと遭遇したとき、茶屋のばあさんから見下すように、「あの人たちと、かかわりを持ってはいけない」と言われて、戸惑った様子が描かれております。茶屋のばあさんは、一高生を「旦那様」と呼び、旅芸人を「あんな者」と、軽蔑を含んだ口調で話すというようにあらわされております。川端康成は、この小説を書くために、湯ヶ島、天城峠を歩いておりますが、ある村に通ずる道に「物乞い、旅芸人、入るべからず」という札を見たと記されております。小説のクライマックスになりますが、下田に到着し、あすは別れるという晩に、一高生は旅芸人一座を映画に誘いますが、踊り子以外、都合がつかなくなります。すると母親は2人で行くことを強く反対されました。行かせてほしいと懇願する踊り子に対して、頑として許してはくれませんでした。母親は意地悪で言ってるわけではなく、身分が違うことから、どうなるものでもなく、深入りしては踊り子が傷つくということを配慮してであったことは明らかでございます。一高生がひとりで映画を見た帰り、暗い町で、遠くからかすかに踊り子のたたく太鼓の音が聞こえてきて、わけもなく涙するという感動的なシーンも、身分違いという不条理をあらわしております。
 川端は、幼くして肉親を次々と亡くし、両親の暖かい庇護のなかった寂しい孤児の生い立ちが、その作風に影響を及ぼしております。川端の心にある、この世の中で虐げられ、差別され、卑しめられている人々へのいとおしみを同一化するような感情が、伊豆の踊り子の大きなモチーフになってると言われております。一校生は、川端そのものであり、伊豆の踊り子という小説を貫いているのは、まさにさげすまれている旅芸人、「村に入るべからず」と排除される旅芸人、このような職業蔑視にさらされている境遇にあっても、生きる希望を失わない人々への共感、応援であり、このような境遇にありながらも温かな旅芸人一座への川端の憧れでもあります。
 このような世間の冷たさを覚える露天商や旅芸人を行く先々で助け、便宜を図ってあげていたのがやくざであったわけです。興行や宿泊、安全な営業の世話をしております。これは、社会の最底辺で生きている者たち同士だけがわかり合える連帯感ではないかと思います。旅芸人の境遇に同情し、優しいまなざしを向け、支援の手を差し伸べてくれたのは、やくざ以外にはなかったわけでございます。
 現代では、入るべからずと排除されたものをすくい上げるシステムがいまだ整っていない現状です。川端康成が表現したように、差別する側と差別される側が、同化する思いが広がらない限り、排除の論理だけでは解決は図れるものではないと考えております。以上、背景としまして、3点にわたって質問をいたします。
 まず、条例と法との関係についてでございます。午前中の副市長の御発言にもありましたけれども、地方自治体は、法により行政手続を進めております。この1年を見ても、法を正確に理解していない、あるいは、ないがしろにしてるんではないか、というようなことを当市で見かけました。私も責任があると思っております。その一つは、いじめに対する対応においてであり、また一つは、労働安全衛生法についてであります。こういうものではありましたが、議会で議論を重ね、是正してきたものと思います。条例には、法を根拠として、地域特性を加味してつくられるものも多くあります。その際、法の理解が正しくなければならないことは言うまでもありません。これらの点について、暴排条例においては、看過し得ない重要問題をはらんでおります。以上の点から、暴排条例と暴対法を根拠としていることからお聞きいたします。
 条例の特徴は、一般社会と暴力団の遮断にあります。一般人が暴力団員と交際したり、関係を持つことを規制しております。これに違反すると氏名が公表されたり、公共の仕事が受注できなくなります。つまり、この条例によって暴力団の存在は許されなくなります。もう一つの特徴は、暴力団と対峙するのは、警察ではなく、一般社会であるということです。暴力団との対決の矢面に市民を立てて、市民が暴力団を排除しろ、警察はこれを支援する、という構図になっております。
 一方、国における暴対法は、警察が暴力団を取り締まっていくというものです。しかし、暴力団の存在自体は否定されておりません。憲法では、結社の自由、居住の自由、職業選択の自由などがあり、暴対法ではこれらは規制されておりません。しかし、条例になると、暴力団として部屋を貸したり契約したりすると罰せられます。条例は、憲法に違反するものであります。
 第1の質問は、法では——憲法が——法では、存在が認められている暴力団を、条例では否定しております。法律と条例は対立しているのではないかということでございます。言葉を変えれば、法を正確に解釈せずに条例をつくるようなことがあってはならないということでございます。法と条例の関係について、明確に御答弁をいただきたいと思います。
 2つ目としては、条例制定の経緯、外部からの働きかけなどについてでございます。県条例と市条例の関係について、まずお聞きいたします。これは、予備的主張となります。つまり、本質的には暴排条例を認めるものではありませんが、仮に県条例の施行を前提としたという場合における市条例との関係について、市の見解をいただきたいと思います。全国の都道府県でも同種の条例がつくられております。一部の市区町村でも、類似の条例がつくられ出しております。茨城県では、44市町村がほぼ時期を合わせて施行されております。当市もこの中にありますが、県の条例は、当然のこととして市全体も対象としております。また、県条例の内容は、県は公安委員会があることから、より深く、幅広くなっております。この中には、市が行うべき内容は全て包含されているものと思います。このことから、市の条例は2重行政、無駄な条例になっているのではないかという疑問でございます。
 次に、立法事実についてでございます。条例制定時から今日まで、適用事例はなかったことを確認しております。また、制定時の議論でも明らかにされておりますが、条例で想定するような事態はなかったということであります。つまり、制定前から今日まで、立法事実はありません。このように、見てくると、なぜ条例をつくったのかという議論に戻ってきます。何か効用はあったのか、何らかの役割は果たしたのかということを問わなくてはなりません。暴力団の定義の曖昧さから、暴排条例の悪用とも言える動きになっております。暴力団との交際や取引を規制しておりますが、企業にとって見れば、誰が暴力団か識別できないというのが現状です。暴力団員とは知らずに行った取引でも、条例における規制の対象になります。このおそれを取り除くために、警察OBを受け入れる企業が多くなってきております。市内の安全向上に役立つことはあると思いますが、暴排条例を口実に行うことには違和感を持ちます。ましてこれが、条例の効用と言われても、納得できるものではありません。当市において、必要性が著しく見られない条例ですが、制定に当たって、外部からの働きかけがあったのか、お聞きいたします。つまり、立法事実のない、動機のない条例ですから、何らかの外部からの力がなければ、動くものではないと思うからであります。この点について、地方自治の基本がゆがめられることがないよう御答弁をいただきたいと思います。
 3つ目は、条例は憲法違反ではないかという疑義についてでございます。一例を挙げれば、暴力団員は銀行口座を保有できません。家族もいれば、学校に通う子どももいます。学校での集金は口座引き落としが基本となっておりますが、暴力団員の子どもは、現金の扱いとならざるを得ません。全国では、これが差別、いじめの要素となっている事例もございます。ただし、当市においては、教育委員会にお聞きしたところ、全員が口座振替ということでございました。少なくとも、児童生徒を持つ家庭には、暴力団員はいないということだと推察できます。また、暴力団員の葬式なども拒否される事例も出てきます。暴力団員が火事や救急処置が必要になった場合、行政が出動をするという明確な指針があるというようには聞いておりません。暴力団員と、警察から指定されると、あらゆる場面で差別的扱いを受けます。住居の制限は、一般の人が受ければ憲法違反ですが、暴力団員には憲法違反とならないのでしょうか。現状は暴力団員ということで差別されているわけですが、社会との交際が遮断され、一般人が交際することを禁じていることから、正業につくことは絶望的になります。
 また、暴力団を脱退してもなお5年は同じ境遇、つまり差別され続けなければなりません。具体的に問題点を申し上げれば、暴力団をやめて、新たな生活の糧を得るためには、職につかなければなりません。面接で給料振り込みの口座を聞かれたとき、口座を持たない理由を聞かれ、この時点で就職の道は閉ざされてしまいます。私はこのことが過酷だと申し上げております。暴排条例によって、行き場を失った者が、犯罪の道に……今度は本当の犯罪集団とならないことを祈るばかりでございます。
 人権にかかわることや、一般人であれば何でもないことが、暴力団員であることによって差別される。これは、近世において差別排除の対象とされてきた、えた・非人など、最低辺の身分とし士農工商など一般人の枠外に置かれていましたが、今や暴力団員は、現在の身分となっているかのようでございます。これが暴排条例を根拠として、行われていることから、身分を禁じた憲法に違反するのではないかという疑義が拭えないものでございます。条例は憲法違反であるという疑義に、どのように答えるのか、取手市の見解をいただきたいと思います。以上で、1回目の質問を終わります。
〔12番 細谷典男君質問席に着席〕
 



○議長(入江洋一君)

 答弁を求めます。
 総務部長、斉藤俊治君。
〔総務部長 斉藤俊治君登壇〕
 



○総務部長(斉藤俊治君)

 それでは、細谷議員の質問に答弁いたします。暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律、いわゆる暴力団対策法は、これまで対処が困難であった民事介入暴力への対策を推進するとともに、対立抗争による市民への危害防止のために必要な措置を講ずるため、平成4年3月1日に施行されました。この暴力団対策法第1条では、「この法律は、暴力団員の行う暴力的要求行為等について必要な規制を行い、及び暴力団の対立抗争等による市民生活に対する危険を防止するために必要な措置を講ずるとともに、暴力団員の活動による被害の予防等に資するための民間の公益的団体の活動を促進する措置等を講ずることにより、市民生活の安全と平穏の確保を図り、もって国民の自由と権利を保護することを目的とする」と、その目的が規定されているところです。暴力団員による不当な要求行為に対して中止命令で規制したり、暴力団同士の対立抗争の際の事務所使用制限命令等を出すための法律です。暴力団対策法第2条第2号では、暴力団について、「その団体の構成員(その団体の構成団体の構成員を含む。)が集団的に又は常習的に暴力的不法行為を行うことを助長するおそれがある団体をいう」と規定されています。そして、暴力団対策法の規定に基づいて指定された暴力団は、暴力的要求行為等を行うことを禁止され、これに違反すると公安委員会から中止命令や再発防止命令が出され、この命令に違反すると刑罰の対象となります。一方、茨城県暴力団排除条例では、「暴力団が県民等の生活及び事業活動に不当な影響を与えている現状にかんがみ、本県からの暴力団の排除に関し、基本理念を定め、並びに県及び県民等の責務を明らかにするとともに、暴力団の排除に関する基本的施策、青少年の健全な育成を図るための措置、暴力団員等に対する利益供与等の禁止その他の必要な事項を定めることにより、暴力団の排除を推進し、もって県民の安全で平穏な生活の確保と社会経済の健全な発展に寄与することを目的とする」と、第1条において規定されています。また、取手市暴力団排除条例でも、「本市からの暴力団の排除に関し、基本理念を定め、市及び市民等の責務を明らかにするとともに、暴力団の排除に関する基本的な施策等を定めることにより、暴力団の排除を推進し、もって市民の安全で平穏な生活の確保及び本市における社会経済の健全な発展に寄与することを目的するとする」と、規定しているところです。このように暴力団排除条例は、茨城県や市、住民、事業者などが暴力団排除のために、それぞれなすべきことを主な内容としています。そして、暴力団対策法、県・市の暴力団排除条例を効果的かつ適切に適用しながら暴力団対策の推進がなされています。
 また、暴力団排除条例の制定経緯ですが、茨城県暴力団排除条例第11条に、「県は、市町村において暴力団の排除に関する施策が実施されるよう、市町村に対し、情報の提供、技術的助言その他必要な協力を行うもの」と規定されており、県の啓発や連携のもと、県内44市町村の動向を踏まえながら制定いたしております。取手市は、県内で14番目の制定となります。
 次に、暴力団排除条例は憲法違反であるとの疑義に関する御指摘についてですが、一般論として、条例については、日本国憲法第94条及び地方自治法第14条の規定に基づき、憲法及び法令に違反しない限りにおいて制定しているところであります。その上で、憲法に合致しているか否かにつきましては、日本国憲法第81条の規定に基づいて、司法において判断がなされるべきものであります。なお、他の自治体の市営住宅条例の規定に関する判例ではありますが、暴力団員であることを理由とした市営住宅の明け渡し請求の合憲性については裁判で争われた事例があり、平成27年3月に、最高裁判所で合憲である旨の判決がなされているところです。また、他の暴力団排除条例の規定についても、今後、より深く検討・分析が行われていくものと考えていますので、当市としてもそのような司法の判断を注視してまいります。
〔総務部長 斉藤俊治君答弁席に着席〕
 



○議長(入江洋一君)

 細谷典男君。
〔12番 細谷典男君登壇〕
 



○12番(細谷典男君)

 ただいま御答弁いただきました。大変、国策的条例であることから、私の質問も酷な質問だったかというように思いますが、できるかぎりの御答弁をいただいたものと思います。しかしながら、どうしても見解の相違というのがございます。今、部長から御説明いただきましたけども、最初の法第2条、ここで暴力団とは、集団的または常習的に暴力的不法行為を行うことを助長するおそれがある団体、ということになっております。つまり、やくざがすなわち暴力団ではないということが御答弁で明らかになったことだと思います。
 県の条例と市の条例に関しても、目的が同じで、市でも同じ目的ですという御答弁でしたので、問わず語らず同じものであるということをお答えいただいてるものだというように受けとめました。
 そして、取手市の条例制定の経緯についての御答弁でしたが、県の条例で、市においても施策を講じられるように、啓発を——県は啓発をしていくと。県の啓発や連携のもと、条例を制定したというお話でございました。この「啓発」とは、論語によれば、気づいていないことを教え、より高い認識・理解に導くというのが啓発ということでございますが、取手市は暴排条例の必要性について気づいていなかったと。これを県が教えてあげたんだと。そして、条例をつくらせたんだ、というようなことであったかというように思います。そのとき、「必要ないですよ」と言えるような状況ではなかったかというように思いますので、御答弁を受けとめさせていただきたいというように思います。
 この取手市においては、必要性が認められない条例でございますが、この暴排条例反対の声は少しずつではありますが起こっております。皆様のほうのお手元に、「「暴力団排除条例」の廃止を求め、「暴対法改定」に反対する表現者の共同声明」というのをお配りさせていただきました。この共同声明の賛同者に、おなじみの方の名前が載っているかと思います。青木 理さん、テレビによく出ております。大谷昭宏さんはテレビ朝日でしょうか。あるいは、須田慎一郎さん、そして、田原総一朗さん。田原さんの隣の辻井 喬さんというのはペンネームで、西武の総帥の堤さんでございます。この前亡くなられた、西部 邁さんですね。あるいは、どちらかといえば、「左翼」「右翼」という言葉もありますが、左翼と言われるような人と、右翼と言われるような人も混在をしております。とりわけ、一水会の鈴木邦男さん、あるいは、組合の委員長である設楽さん、そして、作家の佐藤 優さん。どちらかと言えば権力と距離を置いた人たちが非常に危機感を持ったことでございますけれども、この声明の中の3つほど御紹介しておきたいと思います。
 2段目のところで、「わたしたち表現者も、安全な社会を否定するものでは決してない」と言いながらも、「その「安全な社会」の実現を謳いながら、「暴排条例」は、権力者が国民のあいだに線引きをおこない、特定の人びとを社会から排除しようとするものである」と。「これは、すべての人びとがもつ法の下で平等に生きていく権利を著しく脅かすもの」だということを大前提として、共同声明を出されました。そして「暴対法は、ヤクザにしかなれない人間たちが社会にいることをまったく知ろうとしない警察庁のキャリア官僚たちによりつくられた。さらに危険なことは、暴力団排除を徹底するために、表現の自由が脅かされることだろう」ということでございます。そして、最後のほうのところで、ここはなかなか理解しづらいところかと思いますが、「ヤクザの存在は、その国の文明度を示すメルクマールでもある」——いわゆる判断基準であると。「たとえば北朝鮮にはヤクザはいないと言われている」。もう間もなく、あした、トランプ大統領と金正恩委員長の対談が行われ、この表現は今後、当たらなくなるかもしれませんけれども、今まではそう思われていたと。「戦前の社会主義者の規制が全国民への弾圧を拡大したように、暴対法は「暴力団」の規制から国民全てを規制する法律として運用されることになるだろう」というのは、戦前の治安維持法が、共産党を対象とした法であったわけですが、だんだん社会主義者、そして宗教者、あるいはマスコミなどまで広がってきたことをあらわしております。このような危機感を表明した人たちもおります。
 さらに国会においては、最初の暴対法ができた1992年には、全員賛成で成立をしておりますが、深い議論があったというふうには聞いておりませんが、賛成でしたが、この共同声明出された以降の暴対法改定においては、国会でも反対する人たちが出てきました。反対されたのは、社民党の全議員と、あと沖縄出身の糸数さんでございます。徐々にではありますが、問題を指摘する声は広がってきております。
 当初、この暴対法ができたときに、反対の声は暴力団の最も身近なところ、家族から上がりました。銀座でもデモを行い、アピールしたのが、「極道の妻たち」と言われたデモでございました。そして、任侠団体、各団体は、不当な取り扱いに抗議し法廷に訴えました。この係争中に起きたのが、阪神淡路大震災でございます。裁判は中断して、被災者への支援に組織の総力を挙げ、全力を傾注したのが地元に拠点を置く山口組でございました。神戸では、未曽有の被災でしたが、窮状につけ込むような火事場泥棒的な事件は極めて少なかったということが、海外にも知られております。日本人の倫理が高いことが評価されていますが、これと同時に、機能を喪失した警察にかわり秩序維持を担ったのが山口組の役割であったと言われております。直接的なボランティア活動も行いましたが、犯罪者が侵入しないよう市内全域を見守っていたわけでございます。神戸においては、山口組の存在が、災害に見舞われた人の弱みにつけ込むような犯罪を防止いたしました。この大震災を境にして、訴訟は取り下げられました。災害の復旧を何にも増して優先するということからでございます。
 そして、次に注目する議論がございました。東日本大震災の復興に関してでございます。このとき、京セラの稲盛和夫会長と対談した堺屋太一氏。堺屋氏は、経済企画庁長官として、小渕内閣に民間人閣僚として入り、さまざまな実績を上げております。特に、景気ウォッチャー調査などは大変な評価を得たものでございます。生きた経済のわかる数少ない人物だろうと思いますが、堺屋氏は阪神大震災で、政府の復興員を務めた経験から、復興にはスピードが必要と主張し、「平時のように四角四面に法律を適用していては、事は迅速に進みません。正直なところ、裏社会の人に協力を要請しないと突破できない局面も出てきています」と述べております。これは、堺屋氏は大阪出身でございますし、この阪神大震災の復興の現場を確認しているからこそ出てきた言葉ではなかったかと思います。100%排除で否定するということであったとすれば、このようなことは、生じてこなかったというように思いますので、ぜひともこの表現者の共同声明ともども、御一考いただきたいというように思います。
 また、部長の御答弁で、条例と法は相互に補完するということもございました。法を条例は補完するということはあり得ることだと思いますが、条例を法が補完するということはあるのか。これはあり得ないことではないかというように思います。こういうできないことを言わざるを得ないところに、私は暴排条例の欠陥があると思います。警察は、暴対法では暴力団を壊滅することができなかった。だから民間に排除条例ということで、暴力団とつき合うなということをもって壊滅の実を上げようとしたわけですが、全く方向の違う条例でございます。そのために、「相互に補完」と言わざるを得ないということについてはよく理解できますが、この法と条例の関係は正しいものではないというように思います。
 そして最後の、憲法についてでございます。条例——失礼しました。法が憲法に違反してるのではないかということについては、違憲立法審査権というのがございます。ここで審査する権限が——法律や行政が憲法に違反しているか、いないかを審査する権限がございます。部長ご指摘のとおり、憲法第81条に、最高裁を終審裁判所として審査することになっておりますが、その中の対象となるのは、一切の法律、命令、規則、また、処分というようになっております。一切の法律、命令、規則または処分でございます。ここに条例が入るのかどうか。条例が入らないとすれば、どこで争われるのか。寡聞にして私は、この点についてはわかっておりません。憲法違反と指摘される条例は、そもそも憲法以前に、法にそぐわないものではないかと思いますので、条例が憲法に違反するなど想定していなかったのではないかとも思います。
 また、憲法第99条には、「公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」とあります。ここで言う公務員とは、「公務員」という表現だけなんですが、国家公務員に限らず、全ての公務員が対象になるものと思います。であるとすれば、条例に疑義が生じないよう、日常的に憲法を意識した行政執行が求められてまいります。条例制定に際しても、憲法との関係をまずチェックしなければならないものだというように思います。
 そこで、最後の質問になりますが、お聞きしたいところは、憲法をどのように意識して日常の業務を執行しているのか。そして、職員にはどのように教育研修をしてるのか。4月には新入職員も入ったというようにお聞きしておりますが、どのような憲法教育を行ったのか——行っているのか、お聞きいたします。
〔12番 細谷典男君質問席に着席〕
 



○議長(入江洋一君)

 答弁を求めます。
 斉藤俊治君。
 


○総務部長(斉藤俊治君)

 一問一答ではないので、私が言った、言わないについては控えさせていただきます。憲法重視の取り組みということであろうかと——御質問だろうかと思います。全ての職員は、市職員となる際に、地方公務員法第31条及び取手市職員の服務の宣誓に関する条例第2条の規定に基づき、宣誓を行ってから公務に従事しております。その内容ですが、日本国憲法の尊重と擁護を誓っております。また、新任職員の研修カリキュラムの中で、地方自治について学ぶ際に、憲法における地方自治の規定を含めて学ぶようにしているほか、他の法令にかかわる研修においても、上位法、理念としての憲法や判例などにおける憲法判断など、学ぶ機会を設けるようにしておるところでもございます。今後も、憲法について学ぶ機会をつくり、職員一人一人が公務員としての意識を高く持ち、憲法を遵守し、憲法を初めとする法令のもとで職務を実施していることへの自覚を促すよう周知してまいりたいと、このように考えております。
 


○議長(入江洋一君)

 細谷典男君。
〔12番 細谷典男君登壇〕
 



○12番(細谷典男君)

 ありがとうございました。憲法については、ぜひそのような立場で研修を積んでいただきたいというように思います。私が、労働組合の役員をやっていましたが、それを辞して、地方議会に出ようと気持ちを固めたときに、挨拶に行ったのが社会党の土井たか子さんのところでございました。そのとき、土井さんは、「憲法は、地方自治でこそ光り輝くものだ」と。「憲法を地方で必ず生かしてください」というように言われたことが最初でございました。そのときにも、京都の蜷川虎三府知事のお話をいただきました。京都府政では、この蜷川知事は、職員全員に豆本——憲法の豆本を渡して、全員にそれを携帯させて、府民と接するとき、必ずこれを心に抱いて接しなさいという教育を徹底して行って、府庁舎の正面には、「憲法を暮らしの中に生かそう」という垂れ幕を掲げられておりました。蜷川知事退任後は、その垂れ幕も今は下げられているということでございました。
 私も、今、つらつら振り返れば、その後、何回か選挙してるんですが、最初の選挙は、憲法を暮らしに生かすということだったんですが、このスローガンは、その後、掲げることはありませんでした。今、翻ってこの憲法について、本当に地方自治で生かせるのかどうか、改めて自分自身を問い詰め、問い直してみると、この「憲法を暮らしに生かす」というキャッチコピーは、改めてまた掲げなければならないと思います。私自身も、正直に憲法に違背することのないよう取り組んでまいりたいと思います。安全保障や国家のあり方などを除けば、文化、人権、福祉など、憲法は一切揺るがす必要がないものと思いますので、これを心に抱いて、今後も議会活動を進めたいと思いますし、この暴排条例については、これからもいろいろ変化があろうかと思いますので、総務部の皆さんとは、議論をさせていただきたいということお願い申し上げまして、質問を終わりにさせていただきます。ありがとうございました。

居住する神奈川県と川崎市と居住区の人口を調べてみた。

神奈川県の人口は、今年二月一日現在で推計九一四万五千七十六人。

川崎市は同三月一日現在で一四九万千六百二十九人。居住している幸区が同十六万三千九百五十九人。

神奈川県と川崎市に架電してわかったのは、東日本大震災以後に防災対策課が危機管理室緊急対策課へと変わっていたことだ。

神奈川県危機管理室によると、首都直下型地震への備えとして、二十の施設に帰宅困難者を受け入れることを想定し、国の防災計画に従って各施設の収容人員の二日分の飲料水と食料を常備しているとのこと。ちなみに、横浜市の人口三七二万八千二十一人(平成二十七年国勢調査)に対して、乾パンの備蓄は一六六万食との回答。

次に川崎市の危機管理室では、人口一四九万人余に対し、被災者想定十三万八千人×二食分の約二十八万食のアラビカ米を備蓄しているほか、一食分のおかゆを追加することを検討しているとの回答で、過去の調査結果に対して備蓄減となっていることに驚いた。

そして、居住している幸区の危機管理担当によると、幸区内には二十二カ所の避難所が設けられており、各施設には五十食分入りのアラビカ米二十五箱(千二百五十食)に加え、おかゆ五十食分×四箱、二十四本入飲料水ボトル×二十八箱、計三万千九百食、飲料水一万四七八四本が常備されているということだ。

以上のように、神奈川県、川崎市、幸区の「危機」に際しての取り組みを見れば一目瞭然のごとく、「被災者想定」は、あくまでも最低限の想定とみなさなければなるまい。川崎市のように、過去の備蓄量から減少したという矛盾は、政府の危機管理基準に基づいて算定されたもので、他の都道府県でも同様の事態を招いていることが想像できるのである。

その危機管理基準とは、各都道府県市区町村の自治体は、緊急事態に備えて最低三日分の飲料水と水の備蓄を各戸に呼びかけ、これを実行した前提に基づき、震災発生時に全壊した家屋に限っての被災人数を想定する、というもので、半壊や一部損壊の家屋からは緊急物資を調達できる、ということなのだが、果たして全家庭が三日分の緊急物資を常備できるのか、高齢者家庭や一人暮らしに基準を満たせるのか、という問題には向き合っていないのである。

そこで、すでに提起し、これから提案していこうという課題は「我が家の防災倉庫化計画」だ。

まず、みずから居住する県・市・区・あるいは町の人口と危機管理体制を知り絶対量の不足を認識してもらい、能動的に備蓄を行うことで、居住地を「絶対的防災拠点」とできるように努める。水、食料、医薬品のほか備品に加え、発電機を購入して防災拠点の効力を高める。町内会や消防団などを通じて近隣の居住実態を把握すると同時に最低限の備えを呼びかけて実現してもらう。緊急時必要物資のリストを作成して備蓄状況を確認する。町内会で実行したら周囲の町内会と連携して拡大し、自治体に依存しなくて済む体制を確立していく、というもので、依存型から行動へと意識を転換してもらうことを実現していきたいと思っている。

近隣の状況がわかっていれば、高齢者の一人暮らしにも注意を払うことができるほか、緊急時には地域で助けることもできるだろう。

そうした意味からも、今回の啓蒙運動が、参加した各位の行動の礎となり各自が拠点となって、緊急災害時には正義を行うことに努めてもらえれば幸いである。人々の暮らしが脅かされた「イザ」を想定し、正義に備え、実行するための運動として前進する原動力となっていくことを望みたいものである。
6年前の3・11以後、防災意識は高まったようですが、政府の危機管理基準に沿った各地方自治体の緊急対策に矛盾が生じていることから提案します。

支那中共の食品工場に発したいわゆる「毒ギョウザ事件」では、食の安全を考えさせられました。
この事件をきっかけに、一年分の米の確保に努めたところ、自治体の食料備蓄が気になったので、居住する川崎市役所防災対策課を訪ねて緊急時の食料備蓄を伺い、50万人分の備蓄を確認しました。

ところが、この3月に川崎市に改めて備蓄状況を訪ねると、危機管理室緊急対策課へと変わった部署は、国の基準により倒壊家屋から算出される被災者13・8万人×2日分のアラビカ米=27・6万人分の備蓄へと約半減していたという状況です。現在、算出被災者分のおかゆの備蓄を検討中ということでしたが、それでも毒ギョウザ事件直後から大幅に人口が増加しているにもかかわらず、備蓄食料が減少しているのです。

こうした現象は、全国の地方自治体でも共通しているものと考えられるので、私たち自身が緊急時に備える行動を起こすことが肝要かと思います。

一例として私自身は「我が家の防災倉庫化計画」に取り組んでいますが、これは自治体の避難所に準ずる防災拠点を積極的に拡充する、すなわち、みずからが意識を行動に移すことにより、万が一の際には近隣の救済に当たれる体制を築き上げようということです。

「緊急時・被災者となるか?救済の側に立つか?」との問いに答えるのは私たち自身です。
この試みによって、かつて全有連が目指したような個人の拠点化が進むことも含めて検討することができれば幸いです。
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東京演説会で訴えを行っている槇泰智氏
平成20年6月12日自民党の外国人材交流推進議員連盟総会は人口減少の解決策として、今後50年間で1000万人の移民を受け入れる提言をまとめた。これに則って政府・自民党は移民を受入れる前提で様々な取り組みを開始している。 

我々は狭義な排外主義・民族差別のもとで外国人を排斥するものではない。むしろ、経済大国である我国が率先してアジア地域を中心とした経済的苦境にあえぐ有色人種と共に、彼ら発展途上国の自立・発展を促し、その為に日本で学習し技術を習得したいと望む人々を積極的に受け入れることを歓迎するものである。

しかし、この自民党が推奨する上述の移民1000万人計画は日本という国家の形態を損ない、国の将来を危うくするものであり、断じて受け入れられるものではない。 人口減少はさしたる問題ではない。割合が増大する高齢者へ支払う年金や医療費を稼ぎ出すべき労働を担う若年者層が減少していることが問題なのである。 要は若年者層が広がりを見せる形の良いピラミッド型人口構成比が望まれるのである。

労働人口の不足を補うために一時的な調整弁として期間・職種を限定して外国人労働者を受け入れることはやぶさかではない。

しかし、移民とは労働者のみならず乳飲み子から高齢者までを含む一族が我国に移住して来るものであり、これを受け入れる日本社会は多大なる負担を強いられることとなる。

労働者を雇い入れて生産性を上げることで恩恵を得るのは受け入れた企業である。

外国人児童・幼児に対する日本語学習を含めた特別授業の実施、特別教員の配置や年金掛け金を支払っていない高齢者への福祉・医療費負担は外国人労働者からの恩恵を得ていない日本国民の税金によって賄われなければならないのである。 日本人が忌み嫌う所謂3K(きつい・汚い・危険)職場での人材不足の解消を目論む向きもあるが、移民に対しても憲法に謳われた職業選択の自由は保障されている。

日本での生活に慣れてくれば、より条件の良い職業を選択することになるから3K職場での人材不足が解消されることにはならない。 若年・壮年労働者も加齢とともに職場を離れ介護を必要とする立場となる。労働者として役に立たなくなった時点で出身国に強制的に送還することは不可能である。

上述したような自国の発展の為に寄与したいという学習意欲を持った外国人とは根本的に異なるのが移民である。自らの生まれ育った国は勿論の事、日本に対する愛着も畏敬の念も持たぬ経済的繁栄を享受する事だけを目的として来日する者が多々含まれていることを認識しなければならない。

彼らのコミュニティ内における異文化の持ち込みは良いとしても、それはやがて日本人社会に浸透させ我々への押し付け・強要といった事態を招来させるだろう。日本人が長年に渡り築いてきた日本的システムの破壊が起こることは想像に難しくない。 それは治安の悪化、犯罪の蔓延へとつながる。

平成2年の入管法改変の結果、ブラジル・ペルー人の日系二世・三世を無条件に受け入れたことの延長として平成27年9月、熊谷市で6人が斬殺される凄惨な事件が発生した。金を払って養子縁組を果たした偽日系ペルー人が日本社会に馴染めずに孤立した結果の犯行であった。被害者は外国人労働者からの恩恵とは全く無縁の一般の日本人である。

自民党のスポンサーである経団連など大企業が利益追求を図るための施策がこの移民1000万人計画である。金さえ儲かれば人の命や治安を犠牲にし、先祖代々築いてきた伝統文化さえも払拭して構ないった言った財界主導の営利至上主義を許してはならない。 自民党・財界主導の移民1000万人計画に断固として反対するものである。
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私達は北朝鮮による日本人拉致被害者の一日も旱い救出と、北朝鮮の大使館的役割を推う朝鮮総連中央本部ビルの明け渡しを訴え広く世論喚起を促しています。

皆様もご存じのように在日本朝鮮人組連合会の頂点、いわゆる朝鮮総連中央本部ビルは北朝鮮の事実上大使館と言われており、日本国内において破壊活動、資金活動などを行い、本国北朝鮮に対し資金提供とテロ支援を統けています。

この朝鮮総連本部ビルにまつわる疑惑は数多噂さされており、北朝鮮から密入国した工作員の支援活動をおこない、日本人拉致事件にも深く関わっています。

私達日本人の生活を脅かす朝鮮総連の解体無くして、日本人拉致被害問題の解決は無いといっても過言ではありません。

現在マスコミで騒がれています、“朝鮮総連本部ビル競売に関わる疑惑”をどのように思われますか。

朝鮮総連本部ビル競売の発端は、1990年以降次々に破綻をした16店舗の朝鮮銀行の大ロ貸付先として朝鮮総連中央本部が浮かび上がり628億円の返済命令が確定したのですが返済がなされなかった為、整理回収機構の申し立てにより競売が決定したものであります。
  
朝銀とは、戦後、在日朝鮮人が祖国北朝鮮に送金をしようと考えましたが、日本の金融機関は、それを引き受けてくれず、自分たち在日朝鮮人の手で祖国に送金するため1952年より信用組合を各地に設立しました。

こうして1953年、茨城県内に設立された信用組合が初めて朝銀の名前を名乗り、全国38組合にまで拡大させていきました。

しかし、祖国北朝鮮へ1000億を超える送金や架空の名義への融資、膨大な過剰融資などの理由により全国の朝銀は破綻をいたしました。

この時、私達の血税が1兆4000億円も投入されたといわれています。

戦後、長きにわたり朝鮮総連は祖国北朝鮮に忠誠を誓い、我が国に対しての破壊工作、日本人拉致の協力、我が国に対する資金強要などの活動を行っています。

本来ならば、628億円の債務を朝鮮総連が整理回収機構に返済しなければならないのですが、その義務を果たさず本部ビルの競売となりましたが、競売決定以来、ずさんな入札者の問題が重なり一層複雑な状況を生み出しました。

最初の競売では、九州 鹿児島の最福寺が45億1900万円で落札しましたが、納入期限までに資金調達が出来ず、納入済みの5億3000万円の供託金を没収されました。

二度目の競売では、モンゴルに本拠を置く アヴァールLLC という企業が50億1000万円で落札しましたが、登記情報に不審な点が多く、調査の結果、売却をしない決定が出されました。

2014年3月24日 東京地裁は、モンゴル企業に次いで2番目となる22億1000万円を提示した香川県高松市にあるマルナカホ-ルディングスへの売却を許可致しました。

この時、朝鮮総連は「民事執行法や判例を無視した不当な決定、債務者として返済額が28億円も減少し、不利益を被る」として抗告をしましたが、2014年11月4日、最高裁が抗告を棄却しマルナカホールディングスヘの売却が確定したのです。

朝鮮総連本部ビル落札後、マルナカホールディングスは「粛々と法に則り朝鮮総連に立ち退きをしてもらい転売をする」とコメントしていましたが、朝鮮総連の立ち退きを実行せず2015年1月2 8 日、山形県の倉庫業グリーンフォーリストに約44億円で売却をしたと言われています。

いわゆる競売落札、転売という不動産を扱う投資会社の通常の取引ですが、ここからが問題なのです。

転売後の土地建物の登記簿謄本に朝鮮総連の移転先と言われていた白山出版会館管理会が50億円の根抵当権設定の仮登記をしているではありませんか。

売買金額約44億円という高額ですので当然購入先のグリーンフォーリストの100パーセント自己資金で賄えるとは思いませんが、抵当権設定の仮登記者が、旧有限会社朝鮮出版会館管理会、現在の白山出版ですので、事実的に朝鮮総連の買い戻しと考えられるのではないのでしょうか。

借金を踏み倒し、世間を欺き、何の痛みを伴わずして朝鮮総連中央本部に居座り続けさせる事は絶対に阻止しなければなりません。

市民の皆さん、マルナカホールディングスとは、香川県高松市に本拠を持つ企業ですが、もともとは、スーパーマルナカの不動産部でマルナカ開発として設立されました。

その後マルナカはイオングループに吸収されます。

イオンといえば岡田一族が経営する会社であり、民主党代表の岡田克也の家族企業であります。

現在、イオンの会長は父であり、社長は兄であります。

このイオングループがマルナカの株を95パーセント取得し、山陽マルナカにいたっては、100パーセント取得しております。

そして、マルナカの代表取締役の一人が中山明憲であり、別会社とはいえマルナカホールディングスの代表取締役も中山明麗です。

イオングループとマルナカグループは深いかかわりを持った関係であり、マルナカの責任はイオンの責任といっても過言ではありません。

マルナカホールディングスヘ朝鮮総連本部ヒビノレ売却が決定した時、イオンホールディングスは民主党岡田代表の身内企業だから総連本部競売に参加することができないので、傘下会社であるマルナカを使って競売に参加させたと噂されました。

朝鮮総連本部ビル転売までのシナリオとはどのようなものだったのでしょうか。

不動産投資目的で競売に参加したと公言するマルナカホールディングス。

地元東京の不動産関係者の話によりますと、ビルの解体をせずそのままで売りに出しても30億円以上ですぐ買い手がつく物件だそうです。

ビルを解体し、さら地にすれば60億円の値段は付くそうです。

東京千代田区でまとまった広さの土地の売り出し件数は少なく不動産としての価値の高いものだそうです。

この物件に対し22億1000万円の金額で入札し、落札致しました。

格安の金額で落札をしたマルナカホールディングスは「朝鮮総連に売ったり貸したりしない、法に則り粛々と立ち退いてもらい商売を進めます」と弁護士を通じ報道で説明していましたが、裏では、マルナカホールディングスの代表取締役中山明憲の父で、同社の取締役 中山芳彦と、自民党公認で公明党推薦の元参議院議員で山内不動産の社長、山内俊夫の間で、朝鮮総連ビルの立ち退き請求をせず、賃貸借契約にて継続使用を認めてくれる会社に売り渡すという密約が交わされていたのです。

マルナカホールディングスは密約を隠し、世間を欺くため、「総連側が不当な不服申し立てで所有権移転が遅れて損害を受けた」として、総連に1億円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こしています。
  
当初マルナカホールディングスは朝鮮総連には立ち退き請求するといいながらその実、総連中央本部が立ち退かないでいいような取引を行っています。

私どもの質問に対して「朝鮮総連関係の会社ではないことがはっきりしたので売却を決めた」と説明していますが、そんな言葉は言い訳であり、事実、取締役中山芳彦と前参加院議員山内俊夫との間で、朝鮮総連本部の意向に沿った買い主を探す約束ができていたと山内俊夫もマスコミのインタビューで証言しているではありませんか。

現に、購入業者はグリーンフォーリストですが、土地建物の謄本には朝鮮総連の関連企業、有限会社白山出版会館管理会が50億円の根抵当権設定の仮登記をしているではありませんか。

なぜ仮登記なのか。

本来不動産取引を行う場合、持ち主の変更手続きと抵当権や根抵当権を設定する場合は、本登記ではありませんか。

上限50億円の登記料は1000分の4ですから本登記にかかる登記免許税は2000万円になります。

仮登記の場合は1000円ていどですので簡単に第一抵当権確保としての手法にはなりますがいずれにしても通常の不動産売買契約とは違ったように思われます。

そして、もう一つ疑問に思うのは、不動産所得なら、根抵当ではなく抵当権ではないのでしょうか。

抵当権とはその土地建物の価値に対し設定するものでありますが、根抵当とは、土地建物を担保として会社や個人に対し、これくらいならお金を融通してもいいですよという意味であります。

それに、現在仮設定ですので、三筆それぞれに受け付け番号があり、将来的に共同担保になるのか、土地、建物の謄本三筆それぞれに根抵当権の設定をするのかが問題であり、それぞれに50億円|の根抵当権を設定し登記となれば合計金額で150億円の根抵当権となります。

将来的にどちらにでも変更可能ながんじがらめの根抵当権仮設定は異様に思われます。

資本金300万円の買主のグリーンフオーリストがこれから先、返済が滞り、白山出版に土地や建物が差し押さえられたり、グリーンブオーリストの代表者が朝鮮総連関係者の名前になったりすれば、朝鮮総連中央本部は買い戻しされたようなもので、朝銀破綻の後始末の為に投入された多額の血税が無となりますし、朝鮮総連本部の残り600億円を超える債務が宙に浮きます。

それに朝鮮総連本部の債務を認めた判決が10年を超えれば時効となり、朝鮮総連は何の痛みも受けず借金は帳消しになってしまいます。

このようなことが許されてよいものでしょうか。

北朝鮮に拉致された方々全員はいまだ戻っておりません、残された家族は悲しみにくれながら署名活動をし、政府への嘆願や、渡米しての訴えなど涙ぐましい努力を現在も続けておられます。

日本人拉致事件の主犯北朝鮮の大使館的役割をする朝鮮総連中央本部競売絡む疑惑をこのまま放置できますか。

いくら合法な不動産取引とはいえ企業の利益追求とそれに群がる元政治家、朝鮮総連への便宜。

自民党推薦、公明党公認の山内俊夫は参議院議員を2期勤めているのだから拉数被害者の苦悩と家族の悲しみは当然認識しているはずでしょうし、朝鮮総連中央本部を継続使用させるのと拉致被害者救済の違いぐらいは解っているはずではないのでしょうか。

日本人拉致事件の解決の糸口を自分の手で切り開くなどとざれいごとを並び立てていますが、仲介手数料が欲しかっただけの売国不動産屋ではないのでしょうか。

「不動産投資による商売です」と 嘯く、香川県高松市に本拠ぷ置くマルナカホールディングスの中山一族も同罪で売国会社ではないのでしょうか。

山内俊夫、中山芳彦の密約による朝鮮総連に対する利益供与は日本人として決して許される行為ではなく国賊以下の所業でこのような人間が日本国にいるということ自体信じ難く同じ国土に生活する国民として恥ずかしい限りではないのでしょうか。

自分たちの子供や兄弟が北朝鮮に拉致されても同じような行動がとれるのでしょうか。

人間として理解に苦しむ行動ではありませんか。

自民党公認、公明党推薦で参議院議員を2期勤めた香川県丸亀市に事務所を持つ国賊山内俊夫、数社もペーパー会社を持つと言われているグリーンフオーリストの稲村、朝鮮総連系出版会社白山、どれをとっても今回の朝鮮総連中央本部競売疑惑の責任は重大であり私達国民を欺く行為は決して許されるものではありません。

借金を踏み倒し、痛みを伴わずそのまま本部ビルを明け渡すことのない朝鮮総連中央本部は、一日でも早く立ち退かさなければなりません。

政府自民党と公明党は事態を重く受け止め、徹底した.調査と、自民党公認で公明党推薦・元参議院議員山内俊夫の証言通り、朝鮮総連中央本部を継続使用させることで拉致被害事件の早期解決につながるというのであれば政府として真実を追求する責任があるの今はないのでしょうか。

マルナカの親会社イオンの岡田一族は子会社マルナカの監督責任を果たさなければならないのではありませんか。

民主党党首岡田克也の実家であるイオングループの関連会社の非人道的行動を民主党岡田代表は何とも思わないのでしょうか。

私達の同胞を拉致するようなテロ国家の手先、朝鮮総連と結託をし、便宜を図り国民の感情を無視した行動に対し政治家として日本人として民主党党首岡田克也は、ただただ口をとだすだけなのでしょうか。

人間として、恥ずかしいとは思わないのでしょうか。

自民党公認で、公明党推薦の元参議院議員山内俊夫の日本人拉致被害者家族会を失望させた罪深き行為に対し抗議いたしましょう。

自社ビルを報道金額17億円で、大阪市にある株式会社ラシュールに売却し、50億円の根抵当権の仮登記をした白山出版の収支決算とグリーンフォーリストヘの金の流れ、約20億円の利益を出したであろうマルナカホールディングスの収支決済の調査、1億円を超える仲介手数料を手にしたはずの山内俊夫の収支決済を国税当局は徹底した追及を行うことを国民の願いとして深く受け止めて調査していただきたいと思います。

私達は北朝鮮による日本人拉致被害者の一日も早い救出と、北朝鮮の大使館的役割を担う朝鮮総連中央本部ビルの明け渡しを訴え広く世論喚起を促しています。【社会の不条理を糾す会】