ー暴排条例、暴対法改正から官僚やそのOBの利権が生まれるー

すべての犯罪は共通の法、およびその理念により罰せられる。モノを盗めば窃盗という罪によって裁かれ、人を殺してしまえば、殺人、また状況によっては過失致死といった罪で裁かれる。そのいずれもが、裁判という過程を経ることはいうまでもない。


日本における犯罪を裁く基準は、刑法に基づき、裁判所が量刑を決めるという法治主義である。


しかし暴力団排除条例は、その法治主義を根本から揺るがす問題ともなりはしないだろうか。全国47都道府県すべてでこの条例が施行されているわけだが、これらはすべての内容が一言一句同じではない。そして、国の立法機関がこれを一つの法律として、まとめたわけでもない。この背景にはなにが存在するのだろうか。


今回の条例は、暴力団の犯罪抑止といういう意味ではまったくないと筆者は考える。なぜならば暴力団の犯罪は、前記の刑法ですべて裁くことが出来るからである。ではその本質はどこにあるのだろうか。


これは明らかに、暴力団・やくざが存在する、社会的背景をまったく理解することができない、いわゆる「エリート」というものが、それを社会の異物として排除してしまおうという考えに基づくものであると考えられる。


それは、前時代的な差別と同様であるといってもいいだろう。


ここで詳細には触れないが、正当な商取引までもが暴力団・やくざであるからまかりならぬ、というその一点をとってみても、これはあらたな差別を行政が作り出しているのである。それが厭ならば暴力団・やくざをやめればいいんだ、という論調もあるが、しかし、この条例にはそれらの人々を雇用するための方策などは一切存在していない。


ゆえに暴力団排除条例とは、暴力団・やくざ、またその家族の生存権や思想信条を棚上げし、警察VS暴力団から、市民VS暴力団というあらたな構図を作り出しながら社会不安をあおる。


これは「暴対法」を安易に改正させるための方便にしか思えないのである。


そして「暴対法」改正後には、この条例効果をはるかに超えた「警察利権」も生まれるのであろう。それは、現実に起きている、生存権や思想信条の自由に対する侵害よりも、権力機構にとって大切なことなのである。


年明け早々には、「暴力団対策に関する有識者会議」が「暴対法」改正の骨子をまとめ上げた。


そこには、これまでの「指定暴力団」(22団体)のみにとどまらず、「危険指定暴力団」なるものを加え、いままでは「中止命令」などの勧告によって、犯罪化することを抑止していたものから「直罰」といって、なんの勧告も無しに逮捕が出来るといったものが加わるという。また通信傍受なども議論されているという。

 
細目が枝葉のように広がりつづけ、暴力団排除が加速して行くことは目に見えるが、私たちは、目に見えないあらたな利権構造にも目を向けておくべきだろう。


この数ヶ月、新聞の社会面には暴力団組員の詐欺事件が多く掲載された。その内容の中心は、暴力団組員であることを偽り、銀行口座を取得した、というものであった。たしかに、筆者も子どもの学費を引き落とす口座を開設したときに、反社会的勢力ではない、という項目にチェックマークを入れさせられたことがあった。


ではどのようにして、口座開設をした人物が暴力団組員であるか否かを判断するのか。


ある保険会社では、契約時に指の欠損がないか、刺青がはいっていないかということを、健康診断を通じて判断すると聞いたことがあるが、いち銀行員が窓口でその判断をするのは不可能であると思われる。すなわち、そこには身分を照会するシステムが存在し、それを有効に利用するためには、警察の力を必要としなければならないのである。またそれをスムーズに利用するためには、内部に警察OBを抱えることも必然となるであろう。


今回の「条例」や「暴対法」改正がより勢いよく進めば、警察OBはあらゆる企業に再就職の道が開かれるということになる。そこではおそらく役員としての待遇を受けるであろうし、後輩の再就職を斡旋してまた私腹を肥やすことも可能になるであろう。


法に関わる権力機構が、法を恣意的に操作し私腹を肥やす。


現在、暴力団・やくざを追い込む逆風は、警察官僚とそのOBにとっては順風なのである。その風をさらに受けやすくするために「暴対法」改正というより大きな帆が、また張られるのである。【横山孝平】